仁川チャイナタウンと韓国の近代史
 吉村剛史(トム・ハングル)
 2013/12/01 改:2016/09/02 

今から約1年半前、2012年の春
私がソウル市立大学校の語学堂で勉強していたとき、

私が旅行マニアだということが発覚してしまい。
日帰り旅行することになったのです。

<その経緯は過去の記事です>
沿岸埠頭を歩こう-仁川広域市

その候補地を選ぼうと、あれこれ迷ったのですが、
みな学生ですし、お金もあまりかけられません。
安く済まそうと思い、仁川(インチョン)を選びました。

ソウルから地下鉄1号線で約90分ほどかかりますが、
交通費はおよそ2,000ウォンなのです。

●チャイナタウンは異国情緒あふれる小さな中国

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東仁川駅に到着すると、(訂正:仁川駅
すぐ駅前にあるのが、中華街の入り口の門です。

チャイナナウンは1884年に清国の領事館が
建てられたことから形成された街です。

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歩いていると華僑の学校があったり、
三国志の壁画があったりと街全体が異国情緒にあふれ、
様々な飲食店や中国の小物を売る店などがたくさんあります。

いつもの韓国旅行とは異なった雰囲気を
感じてみたい、という方にはおすすめです。

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●チャジャン麺と歴史の関係

韓国式ジャージャー麺のチャジャン麺も仁川が発祥。
中国山東省出身の人たちが、持ち込んだといわれています。
昨年にはチャジャン麺博物館もできました。

このあたりはそのほかの食文化も関係しているわけですが、
チャジャン麺のみならず、屋台フードのホットクも同じ時期に入ってきたもの。

さらに日本のおでんや海苔巻きも19世紀末、
朝鮮の開港期に流入してきたのです。

●仁川は中国だけではなく、日本との関わりも大きい!

そんな身近なところからもう一歩だけ、
観光に関する仁川の歴史をひも解いてみましょう。

仁川チャイナタウンには、日本・清国の租界地を分ける階段があります。
左側には清(中国)、右側には日本の石塔が置かれています。
さらに階段上には孔子の像があります。

ちょっと不思議な光景ではありませんか?

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租界というのは簡単にいうと、外国人居留区。

この階段を境にチャイナタウンと日本の建物が集まる区域と、
しっかり分けられています。

日本史の教科書にもでてきますが、
1975年の江華島事件で日本と朝鮮が軍事衝突が起こります。
翌年に結ばれた日朝修好条規では、釜山とその他2港が開港されます。
その港が現在北朝鮮の元山(ウォンサン)と、仁川(インチョン)です。

仁川は日朝修好条規のあと1883年に開港されますが
清国領事館ができたのが1884年、ということを考えると
この時期に様々な人や文化、食べものがもたらされたのです。

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その階段の境で分けられた日本側を歩いてみると
様々な近代建築が残されています。

上に見えるのが、旧日本郵船の建物です。
ほかにも旧五十八銀行や日本の古い施設が現存しています。

そうやって考えると、この時期の変わりようといったら
きっと相当なものだろうと思いませんか。
小さな漁港だった仁川に外国の施設が立ち並ぶわけですから。

ただ今となっては、それを朝鮮にとって
悲しいの始まりととらえるのではなくて
世界からの人の流れを感じることができる場所と考えると
より広がった視点で仁川を旅することができるはずです。

硬い話もあったのでおまけの一枚^^
チャイナタウンの小さな丘の上にある自由公園で見つけたもの。

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2009年の仁川訪問の年、のマスコットキャラクター。
写真は2010年春で撤去される前のものと思われます。
ゆるきゃらというとゆるいですけど、可愛いですよね(笑)

<仁川チャイナタウン-旅のワンポイント>
・本場のチャジャン麺に関心のある方におすすめです。
・韓国とは違った異国情緒を感じたい方にも良い場所です。
・近代史のなかで、日中韓の歴史が大きく関わっている場所です。




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